
あの日から15年が経った
昼過ぎだった、当時は8階の事務所で仕事中
突然スマホの警報音と同時ぐらいに揺れが始まった
最初はどーんと突き上げるように、そして次第に揺れが大きくなり、長く続いた
これはどこかで大きな地震が起きたな、そう思った
やがて揺れは更に大きくなり、棚の上の書類が落ち
モニターは倒れ、コピー機が動く

事務所は飯田橋なので、近所の九段会館がこんなことになっているとは思いもよらず
総重量3トンを超える天井材が落ちて、犠牲者が2人も出た
すぐさま、テレビを付けた
全てのチャンネルが特番に切り替わり、地震の報道を始める
まだ、全体の被害状況などはわかっていない
震源は東北地方と言うだけだ
震度は最大6強、しばらくして7と告げられた
7と言えば、コンクリートの建物が倒壊するレベル
東京は5強と言っているが、被害状況を見ると狭い範囲では6だったと思う
後日、近所を見回ってみたが、1棟傾いている物件があり、もう1棟は1階部分に剪断亀裂が入っており
解体せざるを得ない物件もあった

仕事柄(建築士)震災後に点検に行くことがあった
このような亀裂が入ったビルはあちこちに見られた
これは建物内部、ボード貼りなので、下地の軽鉄が動いたことによってクロスが破れただけだが
もっとシビアな現場も幾つかあった
大規模な建築物にあるエクスパンションと言われる構造的な接続部分が壊れている物件は多数あった

災害で停電することもある
大きなビルには自家発電装置が設置されていることが多い
このビルもディーゼル発電機が備え付けてあったが、幸稼働することはなかったそうだ

震災当日の夜のこと
外がやけにザワつくな、と窓を開けてみてみると
車道は渋滞し、全く車が動いていない
路上は大勢の人が歩いていて、車道にも溢れていた
なんとも不気味な光景だった

その日の夜はコンビニには食料品が全く無かった
冷蔵庫にあった食品でその夜は過ごせたが
食料を求めてスーパーに行っても、棚は空っぽ
お菓子もなかった
スーパーが急遽用意してくれた冷凍さんまが、幾らか売り出されていたので、それを買って凌いだ
数日間は、とにかく物流も止まっていて、食料確保には大変だった
水やガス、電気は使えたのがせめてものこと
被災地はそれすら出来なかっただろう
テレビでは、津波報道と原発の話しだけ
通常放送はなく、全てニュースに変わった
CMも徐々に消えていった

そんな中での娘の中学卒業式
余震が来るかもと、短縮で行われた

息子は大学の卒業式だったが、こちらは中止になった
一人寂しく、卒業証書だけもらいに行った
後日、卒業式はやってもらえたが
子供たちも、自分の節目だったこともあって、すごく残念だったと思う
私も、仕事が全てキャンセル
銀行の借り入れをしたばかりだったので、途方に暮れた
半年間、無収入になってしまった
準備していたネットショップを動かす事に集中できたのは良かったのか???
今も苦しんでいる
15年という歳月は、何も解決してくれない
コロナがあり、また次に何が襲ってくるのだろうか

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